ピーター・バラカンが書いた有名なソウル・ミュージックの解説本があるんですが、つい先日、それを思い出したようにアマゾンでチェックしていたら、多くの絶賛レビューの中にひとつだけ星1個の批判が。
ようは、ピーター氏の解説に事実と違っているところが多く、それなのに手放しで絶賛しているのはおかしい、という意見なんですが、(定説が間違っていたのが後々判る、ということはよくありますが、このレビューは改訂版へのものなので、なおさら批判されていました) それを読んだとき、ひとつの曲を誰かに紹介するときに、その出自がどうということは、あんまり曲の評価と関係ないのでは、単純にこういういい曲があるよ、と触れさせることに意味があるのでは、と、ふと感じました。来歴を間違って覚えちゃうのはマズイですが、それが曲の否定に繋がるものではないと。
その体で行くと、このドラマは、『ウルトラマン』という作品を肯定的に紹介、振り返っているという部分に於いては、まぁ、いいのかな、と言わざるを得ないのか。
ドラマとしては、熱かった頃のテレビ製作黎明期の雰囲気も出ていたし、『ウルトラマン』製作にかかわった人物の青春譚として、まあまあ見れるものになってました。(長いけど)
でも、まあフィクションですよね。実相寺氏は、あくまで途中からの参加なんだから。
それと、ウルトラシリーズの監督としては異端中の異端だし、もうちょっとハスに構えた感じだったんじゃあ、とも思うんですが、どうなのか。あと、物語全体が好き勝手やってた事へのいいわけ的に感じるんだけど、それは意地悪な見方過ぎるのかな?
まぁ、間違ってるという意味では、だいぶ間違ってていい加減なんですが、ウルトラマンのデザインが決まる席に成田氏を座らせてたことだけは評価できるかな。
それにしても、当時の円谷にお金が無いことより、このドラマにお金が掛かってないことの方にガックリなんですが、これでも当時のSPドラマとしてはお金掛けてた方なのかな。絵面の問題かな。(倉庫の奥に『アンドロメロス』のポスターあったのには閉口したぞ)
キャストに関しては、三上博史、石田純一が若くてイケメン。そら、トレンディードラマの話来るよなと。
他は、なんで軽演劇、小劇場系の人ばっかりなのかと思ったけど、このドラマ89年なんだな作られたの。小劇場のブームあったからねあの頃。しかし、科特隊のキャストは酷いだろあれ。(なんでビシバに藤波なんだよ)
関係ないですが、このドラマの間違いを上手く指摘している批評はないかと色々ネットで探して、いくつか拾い読みしたんですが(手放しで大絶賛の感想多数でしたが、ありました)、その指摘の中に、ハヤタにスプーンを持って本部を出るよう演出している部分が間違い、というのがあり、それが何でなのかというと、放送された作品の中では、ハヤタはスプーンを置いて出て行ってるからなんだそうで、これにはビックリ。確認してないけどホントにそうなの?全く気付かなかった。
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- 2013/03/25(月) 07:06:24|
- MX円谷劇場
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本放送以来の視聴です。あのときから四半世紀近く経過しているので、ドラマの印象も変わるかもしれないと期待していたのですが、初見と同じでした。
当時もそうだったのですが、フィクション(嘘)がいけないなんて思っていません。思っていませんが、このドラマの場合、作りが嘘っぽくて、それがどうにも気になって仕方ないのです。
主人公とスクリプターのラブロマンスなんて気恥ずかしくて、今回はチャンネルを換えてしまったほど。
主人公がウルトラマンの命名者になったり、ウルトラマンの声の発案者になったりするのが、まず受け入れられませんでした。事実を知らなくても「嘘でぇ」とつぶやいていると思うんです。
たとえば「私が愛したウルトラセブン」で、ベトナム戦争から逃げてきた米兵を円谷プロのスタッフ、キャストが匿い、逃亡の手助けするエピソードがあります。まったくのフィクションなのはわかりますが、でも、そこに脚本の市川氏の思いが感じられて、受け入れてしまう自分がいました。嘘としては、こちらの方がとんでもないにもかかわらず、納得できたんです。
つまり、「ウルトラマンをつくった男たち」には、脚本・佐々木守の思いが伝わってこない。手を抜いていると思いました。脚本・佐々木守に驚いたのはそういうことです。実相寺監督にしても、たぶん名前だけにしてもよく原作とともに監修をクレジットさせたなぁと。
スプーンの件、私は知っていたので、どうでもよかったんです。というか、ドラマとしては、あの展開は必要だと思っています。
私が許せないのは、シーボースの声を赤ちゃんの泣き声にしたこと、それから、シーボーズの演技についての、主人公と特技監督の対立でした。
シーボーズの声、素人が聞いたって赤ちゃんの声には聞こえないでしょう。にもかかわらず、なぜジャミラのエピソード(の一つ)を挿入するのでしょうか。だったら、最初からジャミラの話にすればいいじゃないですか。シーボースの話には必要ないですよ。
シーボーズの演技については、あくまでも事実を知る個人的な感情ですね。ドラマ的にはわからなくはないですが、立場がまったく逆ですから。
劇中劇の、科特隊のキャスティング、ユニフォームの造形を含めてひどいですよねぇ。ここがきちんとしていたら、もう少しこのドラマを受け入れられたかもしれません。
- 2013/03/25(月) 23:24:18 |
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実は、ラストの方は早回しで見てしまいました。(笑)
このドラマ、主役が三上博史じゃなかったら2時間以上も絶対持たなかったでしょうね。ご本人とは似ても似つかないですけど、その点だけはいい方に転んだかなと。
『私が愛したウルトラセブン』の方は、完全にフィクションでしたし、それが判るような作りになってました。その上で、時代のうねり、作者の若かった頃の青春の熱のようなものを『セブン』を通して表現したんだな、というのがヒシヒシと感じました。ひとつのドラマとしてもいい作品だったと思います。
アプローチも意欲も全然違うので、比較するのもナンセンスなんですが、事実と違うことが描かれていても、こちらの嘘は許容範囲というか、全然気になりません。
しかし、『ウルトラマンをつくった男たち』の方は、なにか、嫌な感じがする嘘なんですよね。全体におざなりな感じがしますし。(誠意が感じられないとでも言うか・・・)
エピソードの抽出の仕方も、出てくる登場人物がこれだけだから、時間的に描ききれないから纏めちゃおう、みたいな感じで、安易に事実を捻じ曲げすぎのような気が。
シーボーズ中心にしたのも、単に円谷にガマクジラのキグルミがなかったからではないのかと疑いたくなります。(多分そうなんでしょうけど)
製作過程のモロモロは雰囲気重視で、あとは恋愛部分が描きたかったんでしょうか。(そんなことはないと思いますが)
特技監督がトンでもなく怖いのは印象に残りましたが。
- 2013/03/26(火) 06:08:03 |
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本放送のとき、脚本以外に驚くことがありました。
制作が逸見プロ、木下プロ、円谷プロ、TBSの4社だったのですが、逸見プロ以外のプロデューサーが飯島氏、満田さん、樋口さん。皆、ウルトラマンの監督じゃないですか。協力にはコダイもクレジットされていますし。原作からは登場人物だけを借りて、こういうドラマになったのはそんなスタッフも要因ではないでしょうか。
ドラマ自体は、今のドラマ(や映画)のように、非常にわかりやすい作りですから、特撮ファン、マニア以外の方には受けがいいでしょうし、ファン、マニアは、そんなスタッフに敬意を表して本音を言わないし。実際、舞台裏を映像で見せてくれるのは、興味深いですしね。お祭りドラマなんですから。
あくまでも勝手な創造ですが、逸見プロが「星の林に月の舟」のスペシャルドラマをTBSに企画して、木下プロや円谷プロを巻き込んだのではないでしょうか。
ドラマは、小説から登場人物を借りて独自の物語にしているのですが、国生さゆりさんが演じた女優のモデルは、原千佐子さんなんでしょうね。実相寺監督の奥さんで、このドラマではアパートの大家さんを演じています。スクリプターのモデルは宍倉さんですし、小説を読んでいるときは、実相寺監督、遊んでいるなあと思ったものでした。
- 2013/03/29(金) 21:48:02 |
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なるほど、原作からして小説という形だったわけですか。それなら、こういう感じのドラマになったのも何となく判るような気がしてきました。
タイトルに余計なものくっ付けたのがいけなかったですね。これで、実録物的な雰囲気出ちゃいましたし。
もうちょっとだけ、焦点がどこかに絞られて描かれていたら、作品としても纏まったゆるくない感じになったのかなとも思いました。『ウルトラマン』制作の裏側の正確さとは関係なく。
わざわざコメントありがとうございました。
また、円谷劇場でよさげな作品が放送されることを願って、ではでは。(枠ごとなくなったりして)
- 2013/03/30(土) 02:25:54 |
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