
堪らなく面白かった。
シニカルで、童話的で、突き放していて、慈愛に満ちている。そして、笑えて、考えさせて、泣けもする。
こんなに自分にシックリくる作品も珍しいな、とも思った。
自分も、ブログなどの文章は、シニカルであらねば、と思っているのだけど、シニカルというと、皮肉や厭味で揚げ足を取るようなマイナスなイメージも強いが、注意深く言葉を選べば、最高に可笑しく、ウィットに富んだ批評になるのだなと、再認識させられた。
そのためには、客観的なものの見方が重要になってくるのだけど、この作品には、それが縦横に発揮されており、完璧に物語がコントロールされていて圧倒される。
徹底的に登場人物たちをフザケタやり方で翻弄し、皮肉めいたグノーシス的転倒で宗教観ごと地球を改善していこうとする。しかも、それら全てが、地球とは縁もゆかりもない所からの、(地球人にとって)意味のない干渉から生じたことだった。という更なる告白。
計画通りに翻弄され、心身ともにズタボロの登場人物たちが、一応幸せに、そしてあっけなく死んでいく様は涙を誘う。十万年掛けて自殺できるまでに至ったロボット。全てを知ってしまった上で計画を粛々と実行していかねばならなかったラムファード。それらの最期(実際は死んでないけど)も実に胸に来る。
解説によれば、ラムファードは、ルーズベルトがモデルであり、大儀のために少数の犠牲を払わなければならない者の苦痛が描かれているのだとか。
この作品の中では、キリスト教を特別にシニカルな方法で改善することが大儀になっているのだが、そのやり方が実に笑えて的を射ている。キリスト教という一神教の矛盾している部分をあっさり看破してしまって、大丈夫かコレと思うほどに。もしかして最後には、「やっぱりもとのキリスト教の教義こそ至高」みたいに、揺り戻しが来るのかと(アメリカ人だし)思ったけども、それはなかった。ヴォネガットは、キリスト教の教義を深く理解しつつも自由主義的な人だった。
この新装版には、爆笑太田も文章を寄せていて、しきりに、「理解しにくい、判りづらいと思うが、そのまま読んで欲しい」と書いているが、時系列が飛ぶこともないんで判りづらいところはないと思う。ラムファードの波動になってしまった身体をイメージするのは、SF未経験の人にはちょっと大変かもしれないけど、その程度なんで、ぜひ読んでいない方は体験していただきたい。
で、ここからは、本編の感想ではないんだけれど、気が付いたことを少し。
初めの方、ラムファードが宇宙に行った結果どうなってしまって、どんな能力を得たか、という説明の部分で、「あっこれはDr.マンハッタンだ」と気付いた。
そう、映画にもなったアメコミ『ウォッチメン』の元ネタがこの作品だったのだ。
もちろん、『ウォッチメン』の方を先に読んでいたので、パクリやがってとは全然思わなかったし、なんだアラン・ムーアも人の子か、とは思ったが、なるほどね、と。
『ウォッチメン』も『タイタンの妖女』も、地球外からの脅威に人類をさらすことで、人々の考えに変革をもたらそうという計画が実行される。『タイタン』では、それをラムファードがたった一人で行うのだが、『ウォッチメン』では、オジマンディアスという人類最高の英知と肉体と財産を有する、最も神に近いヒーローが財産をなげうって行おうとする。それを止められないと判っていて止めようとするのが、一度分子に分解され、再構成されたおかげで全知全能になり、文字通り神になってしまった男、Dr.マンハッタン。
要するに、『ウォッチメン』では、ラムファードのキャラクターが2つに分かれているんだね。
『タイタン』では、秘密がつまびらかにされて、なお変革の効果が増すように計画されていたが、『ウォッチメン』では、対極にある底辺のクズのような人物によって、「クソ食らえ」とばかりに暴露されるであろうことが明示されて終わる。表現も行き着く先も全然違うわけだ。
ちなみに『タイタン』にはラムファードの愛犬カザックが出てくるが、『ウォッチメン』にもオジマンディアスの飼っている謎の猛獣(遺伝子操作で生まれた猫科の動物)ブバスティスが出てくる。
今調べたら、『ウォッチメン』のラストは『アウターリミッツ』3話「歪められた世界統一」に影響されてるらしいですね。ムーアはこっちは意識してたみたい。『タイタン』についてはどうなんだろうか。
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- 2013/06/20(木) 19:49:22|
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