公開されてからあえて情報を入れず、ネットの感想も見ないようにして初視聴。
ひとことで言うと・・・、不思議な映画でした。
絵的な部分で言うと、手描きの勢い、力強さ、気持ちよさは素晴らしいな、やはり大塚(康生)さんのおっしゃってた、“よく動くことが直接感動と記憶を残す”んだということは正しいなと、素直に思いましたね。
そういう意味では、初っ端から感動しっぱなし。
内容的には、自然の驚異や、ルールを破ったことへの責任の取り方(取らせ方)、キャラの闊達さ、背景や小物のデザインなどなど、宮崎駿まだまだ健在を思わせるものでした。
が、同時にある種の中途半端さ(ともちょっと違うカオスかな)も感じましたね。
(映画としては、クライマックスが序盤に来てしまうというのも観終わってから気になりました)
たぶん「ぽにょ」は小品で撮られるべき作品だと思うんです。
もっと時間も短く、もっと閉じたそうすけの内証的な話の方があっているような気が。(本来的にはね)
監督本人も毎度、身近な話、小さい話をやりたい的なことを言っていたんで、今回もグッと縮まって狭い世界観(主人公の行動範囲という意味)にはなっているんですが、大きくしたかったのか小さくしたかったのかがちょっと曖昧だったかな、と。
まぁ、それは「もののけ」以降、理路整然とした話の流れは捨ててしまっているので、矛盾や混沌とした者たちの混在感(幼児的なイメージの洪水)も全部飲み込んであまり解決しない方向で表現しているので、判っていてやっていることとは思いますが。
その、ふわ~っとしたまま進んでいって、いつのまにかトンでもない状況になっていて、ストンと終わる感じが、なんとも不思議でした。
ぽにょとそうすけ以外の部分の説明の放棄による“何だったんだ”感、不思議なものを大量に見ているのにあまり驚かない住民のメルヘン感もその不思議さを増幅させてましたね。
それにしても、ぽにょ自体のデザインはやったな、と。
本人もカエルみたいな第二形態を押し通した(決め付けてますが)ときには“いけるぞ”とさぞ思ったことでしょう。
この、一種の気持ち悪さ、奇異さは「ぽにょ」のキモだと思いますね。
そうすけには元が不気味な人面魚であったことをよしとする選択を迫られるわけですから。
その奇異さから繋がってくる後半の怖さっていうのは尋常じゃないというか、子供にはどう伝わってるのかな。
あの天変地異がぽにょの引き起こしたことだって判ってんのかな、と。
で、あの5歳児に対してはあまりに厳しい決着のしかた。
それも怖い。
宮崎駿、厳しいな、と。
ぜんぜん、楽しい話じゃねーぞ、と。
個人的には、所ジョージのキャラがよかったですね。
あそこに元人間のキャラを置くのが、いかにも宮崎流。
もっと詳しく設定を掘り下げて欲しかった気もしますが、そこやっちゃうと「ナウシカ」みたいになっちゃいますから「ぽにょ」の童話世界ではあの程度でよかったのかな。
でも、頭の中には壮大な話が出来てるんでしょうね。
技術的な部分で気になったのは背景の歪み。
ちょっとわざとらしかったか。上手い人が下手に描いた感じ。
あと、はりきる行動派のおかあさんや子供は冒険(危ない目に遭って)して育つべきという、宮崎流の40年来(もっとか)の考えが、どんどん進んで変わっていく時代の倫理観とズレてしまっているのが・・・、なんというか、隔世の感。
「子供を危ない目に合わせる親が何処にいる」と批判を受けるのも納得ですが、これはどっちがいいとか簡単に言えないな。
体験しなければ得られない経験もあるし、危険なことを率先してやることが勇気の証明でもないし・・・。
最後に余談をひとつ。
そうすけは息子の吾郎さんのイメージの投影ですが、
あきまんがブログで言うように、映画全体が吾郎さんと「ゲド戦記」の批判(ともちょっと違うか)になっているというのはあまり見ていて感じませんでしたね。(観る前に読んでいたら違ったかもしれませんが)
当時、しきりに息子さん(と映画)への批判を繰り返していて、次に作った映画の主人公が息子さんの分身とくれば、撮った映画と監督業に対する返答であることは間違いないですが。
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- 2010/02/06(土) 02:27:44|
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